スケート

海外観戦までしてしまうほどスケートにはまり込んでしまっている私。そんな私にとってのスケートの一番古い記憶は、多分トリノ五輪あたり?それよりも前?おぼろげになってしまったけど、夕方のニュースで真央ちゃんやヨナが取り上げられてた頃だったような気がする。

ヨナがハーネスをつけて練習してた映像が何故か今も記憶に残っている。(当時は分からなかったけど多分3A練習してたのかな?)

しかし当時はそんな感じでニュースをチラッと見るだけで五輪も荒川さんが金を取ったんだなぁと思ったくらいでほぼ見ていなかった。


そんな私が何をキッカケにスケートをちゃんと見るようになったかというと、大学を卒業する年、当時某動画サイトでプルシェンコのSEX BOMBにブロリーの顔をコラった「もしブロリープルシェンコだったら」という大変バカらしい(笑)動画があがっていて、それを友人からオススメされて見たこと。

もう笑いに笑った。そもそものこの滑ってる人もキレキレすぎて。

そこから、プルシェンコとはいったい何者なのだ?という興味が湧いて、コラされていない普通のスケート動画を検索していった。検索してみれば出るわ出るわ圧倒的な演技の数々。なんてオーラを放ちながら滑る人なんだろうなぁ…と感心していたら、あれま。バンクーバー五輪が始まったではありませんか。そのプルシェンコも五輪に出ているというではありませんか!よし見よう!ってことでテレビ観戦。

スケートの知識はほぼ皆無な状態で見たバンクーバー五輪。今になって見返してみると結構軸が曲がったジャンプも多く、あれ?と思うところもあるけど(笑)でもその曲がろうが何だろうが俺は転ばねぇ!!というど根性ぶりも含めて、その佇まいやリンクの上から放たれるオーラにただただかっこいいなと、更に興味を惹かれることとなった。


このころ私は広島に住んでいたのだけれども、そのまま広島に居続けたらおそらく「かっこいいな」と思うだけで、フィギュアを生で見る機会はなく、いつしか興味は消え去りフィギュアも見なくなっていたと思う。しかしバンクーバー五輪期間中、就職が決まっていた会社に呼び出され「では東京勤務でお願いしますね」とまさかの東京勤務の命令が下され、生まれてからずっと住み続けた広島を離れ、大都会東京に移り住むことになったのです。

フィギュアへの、というか半分はプルシェンコ(笑)への興味を保ちつつ東京へ引っ越した私。最初は慣れない一人暮らしでホームシックになるやらなんやらで大変だったけど、なんとかそんな生活にも慣れてきた頃、ネットでプリンスアイスワールド東京の宣伝を発見。広島だとそんな機会はなかったけど、東京なら現地でスケートを見る機会があることに驚きながら詳細を見てみてみると、出演者にプルシェンコの文字!見れんの!?マジで!!?

すぐさまチケットを確保し、お一人様でドキドキしながら初めてのフィギュアスケート生鑑賞(ちなみにふれあいには参加できないS席だった記憶。当時はふれあいタイムなんてものがある事は全く知らなかったけど)

行ってみると当たり前だけど目の前には氷のリンクが広がっていて、常設リンクなのもあってヒンヤリした空気。かってもなにも分からないのでとりあえず大人しく座って開演を待つ。

ほかのスケーターのことはもうポチポチ打つのが疲れてきて申し訳ないけど割愛。

会場にプルシェンコの名前がアナウンスされた瞬間、会場が揺れるんじゃないかってほど大歓声が沸き起こった。テレビで見るスケートと実際に会場で見るスケートは全然違って、氷が削れる音や、ジャンプの迫力や、こちらに向かってスケーティングしながらアピールしてくれるところとか、ただただ新鮮でとても楽しかった。

そんなアイスショーの時間はあっという間に終わり、気がつけば…

「またアイスショーに行かねば、スケートを見ねば……」というスケオタが出来上がっていたのであります。

ちなみに今は現役では羽生くんを絶賛応援しているのだけれど、私が行った日とは別日に羽生くん出演していたのですよね。当時も羽生くんのことを知ってはいたし、見たかったのだけど、羽生くんの出演が決まったのは私がチケットを買った後で、初アイスショーの私にはチケットを更に買い足すという勇気はな買ったのですあえなくこのときは見る事は叶わなかった。今考えると惜しいことしたな。まぁその数ヶ月後に別のショーで見る事はできたのだけど、ここでは割愛。